MUSIC/BLUES
相島一之と音楽
あいじまは2008年にGISTという悪性腫瘍を患い、もしかしたら死ぬかもしれないと一旦は覚悟を決める状況でした。しかし本当に幸運なことに手術は大成功。一命を取りとめました。
その時に思ったこと。
どうせ死ぬなら好きなことをやって後悔しないで死のう!
そこで昔からの親友yassと2010年にブルース・ロック・バンドを結成したのです。
縁というものは不思議ですね。
yassとは2000年にRCC中国放送で制作したドラマ『19 ナインティーン』で出会いました。あいじまは俳優として、yassは音楽監督として。僕の役は売れてはいないけど地元のライブハウスで長年ライブをしている主(ヌシ)みたいなフォークのシンガーソングライターでした。ドラマの中でもオリジナル曲を歌うんですが、どんな歌を歌おうかという初めてのミーティングであいじまが作詞作曲した『オレの髪の毛はすぐ抜ける』という歌を下手くそなギターをかき鳴らしながら歌ったら、それ!いいじゃん!それでいこう!とyassが即決したところから意気投合。その後何度もyassのライブに遊びに行ってハーモニカを吹いたり、よくベロベロになるまで飲んだくれyassの家に転がり込んだりそんな関係だったのです。
あいじまが病気になってどうせ死ぬなら好きなことをやって死のうと思ったちょうどその頃、yassから、あいちゃん、バンドやらない?って連絡をもらったのです。
そこからは早かった。
バンドメンバーはyassが声をかけてくれました。
yass(ヤス) ギター・ヴォーカル
YAN-G(ヤンジー) ベース
高橋結子(けっちゃん) ドラムス
あいじまにはもったいない素晴らしいミュージシャンたちが一緒にやってくれることになりました。
もともとyassとは音楽の趣味がドンピシャだったのです。
そして相島一之&The Blues Jumpersが動き始めました。
こだわったのは
日本語で自分たちの歌を歌う。
うちのバンドでは基本的にオリジナルの楽曲を演奏してます。あいじまが作詞yassが作曲です。
オリジナル曲を作る。
これが楽しかった。病気をして大手術をした後だったのでほぼ俳優の仕事をしていませんでした。なので毎日せっせとyassと曲を作りました。40年近く溜めていた音楽への想いを形にしていきました。素晴らしいメロディ・メイカーyassとああじゃないこうじゃないと歌を作っていく。それを凄腕ミュージシャンがバンドの音楽にしてくれる。そして僕はその音に包まれる。生きてて良かったと本当に思いました。
2021年の段階でオリジナルは30数曲。あいじまが訳詞をした楽曲数曲。
これからの夢は
「みんなのうた」に楽曲提供!
某有名スカバンドと共演!
お風呂でブルースを教えてくれたお兄ちゃんとの共演!
そして、紅白出場!
どうかみなさん相島一之&The Blues Jumpersよろしくお願いします!
好きな音楽/ミュージシャン/アルバム/曲
あいじまがお芝居をやっていることを知っている人は沢山いらっしゃると思いますが音楽をやっていることを知ってる人は少ないと思います。このWEBサイトを立ち上げた1番の目的はあいじまが音楽を愛していることを知ってもらうことでした。
そこであいじまの音楽愛を語る自己紹介をさせてください。J-WAVE でクリス・ペプラーさんがやっている番組『OTOAJITO』にならってあいじまが聴いてきた音楽、影響を受けた音楽、あいじまが愛してやまない音楽のことを話させてください。本棚を見ればその人の考え方がわかるのと同じようにレコード棚を見ればその人の感性がわかる。あいじまもそう思います。レコード棚というところが時代を感じますがそれはご愛嬌で。
2021年の現在はサブスクでお気に入りのジャンルの音楽を流していれば誰かのプレイリストでなんとなく好みの音楽に出会えるかもしれません。それはきっといいことなんだと思います。自分の好きな音楽に出会えることは自分の人生を限りなく豊かにしてくれますから。
でもあいじまが若かった頃は自分の好きな音楽は自分で探しに行かないと手には入りませんでした。だから埼玉の熊谷くんだりから東京に出てきて中古レコード店や輸入盤店をはしごしてレコードを探しました。音楽好きな友達と情報を共有しながら。
自分の心の飢えを感じて、自分の心の声を聞いて、これじゃない、違う、これでもない…と音楽を聴きまくって自分の好きな音楽と巡り会った時の感動たるや人生の伴侶に巡り会ったように感じられました。
とにかくまずはあいじまの自己紹介。あいじまはこんな音楽を聴きながら大人になっていきました。その音楽を流しながら語れないのが残念ですが、それはまたいつか。そんなことができたらいいな。
ロック
① ビートルズ
全てはここから始まりました。2020年の今聴いても彼らの音楽は色あせない!あいじまが中学時代ビートルズと出会いました。当時は音楽を手に入れるのはとても高価で、たくさんの人が「エアチェック」といってラジオ番組をカセットテープに録音して聴いていました。ラジカセが流行りFM雑誌が流行っていました。初期ビートルズのロックンロールはまさに教科書!いつ聴いても盛り上がる。ビートルズさえ聴いとけば間違いはない!全ての曲がベスト!
② エリック・クラプトン
あいじまをブルースの世界に誘ったひと。ビートルズの「ホワイルマイギタージェントリーウィープス」で本当にギターを泣かせてる人!そこから虜。クラプトンを追いかけてイギリスのブルースロックを聴きまくりアメリカのブルースロックを聴きまくり、そして本家の黒人のブルースまで辿り着きました。アルバムレイラはどのくらい聴いたかわからない。クラプトンが参加していたクリームも高校時代死ぬほど聴いていた。
③ニール・ヤング
大人になってから好きになりました。30 代、女の子に惚れ、女の子にふられ、仕事もこれで大丈夫なのかとギリギリしていた頃、ニール・ヤングの暗さ、狂気の中にある美しさ、強さ、純粋さにどれだけ救われたか。好きな曲がありすぎる。アルバム『トゥナイトザナイト』は本当に暗いんだけど強くて美しい。
『ライクアハリケーン』『ダウンバイザリバー』『カウガールインザサンド』どれも素晴らしい!爺さんになってもロックし続けている。
④ ポール・コゾフ
英国のブルースロックのバンド、フリーのギタリスト。クラプトンのギターに憧れその背中を追って自らのチョーキング一発の泣きのギターを生み出した人。純粋で繊細なんだね、薬物の取りすぎ、オーバードーズで25歳で死亡。アルバム『フリー ライブ』の演奏は鳥肌もの!『コス』という死後編集されたオムニバスアルバムの『ユーアンドミー』はあいじま20歳ぐらいのテーマ曲でした。
⑤ デュアン・オールマン
アメリカのサザンロックのバンド、オールマン・ブラザーズ・バンドのギタリスト。クラプトンの世紀の傑作『愛しのレイラ』でクラプトンに一歩も引けを取らない、いやむしろ推してる?ギターバトルを繰り広げ一躍脚光を浴びる。セッションギタリストもやっていてソウルシンガー、ウィルソン・ピケットの『ヘイジュード』、ボズ・スキャッグスの『ローン・ミー・ア・ダイム』など傑作!2枚組のライブアルバム『ライブアットザフィルモアウエスト』は歴史的名盤。これからという時にバイクの事故で死亡。享年24歳。
⑥ジャニス・ジョプリン
アメリカのロック、ブルースの歌姫。彼女の魂を揺さぶる歌声は一度聴いたら忘れない。悲しく、切なく、激しく、そして優しい。『ジャニス』という映画があり涙無くして観られない。好きな曲は祈りを込めた『メイビー』、アカペラで歌う『メルセデスベンツ』マジかっこいい『ムーブオーバー』そして歴史的名曲『サマータイム』と数え切れない。薬物の取りすぎ、オーバードーズで死亡。享年27歳。
⑦スティーブ・マリオット
英国のブルースロックのバンド、ハンブルパイのボーカル & ギター。彼のシャウトは熱い!熱すぎる!振り絞る歌声!アルバム『スモーキン』が傑作!44歳にて焼死。
⑧フリートウッドマック
英国のブルースロックのバンド。1960年代のブルースロックムーブメントの立役者の一つ。アルバム『イングリッシュ・ローズ』は高校時代から死ぬほど聴いていた。
⑨ ポールバターフィールド
アメリカのブルースロックを牽引した一人。ブルースハープ奏者。ハーモニカが超絶かっこいい!『Live at Winterland Ballroom』の中のカントリーサイドのハープが最高!
ブルース&ソウル
① オーティス・レディング
サザン・ソウルの帝王。オーティスの歌を聴くと泣けてくる。でもジャンプナンバーも最高!忌野清志郎が全てはオーティスに教わったと歌うほど。一番好きな曲は『ジーズ・アームズ・オブ・マイン』かな。飛行機事故で死亡。享年26歳。
② BBキング
この人の歌とギターを聴くとブルースの強さ、たくましさを強く感じる。スウィートリトルエンジェル エブリデイアイハヴザブルース などブルースの王道!2015年に89歳で亡くなる。天寿全う!
③ ロバートジョンソン
アメリカの南部ミシシッピ州のクラークスデールにある十字路で悪魔と取り引きをした男という伝説のブルースマン。クラプトンがクロスロード、ストーンズがラブインベインをカバーする。ぐちゃぐちゃした生きる力みたいなものがそこにある。1938年27歳で死亡。毒殺されたといううわさもある。あいじま高校時代ストーンズのラブインベインが好きでホウキを持ってエアギターで友達の前で歌っていた。
④ レイチャールズ
ブルースにゴスペルを持ち込んだ男。盲目の天才ブルースマン。ドロウンマイティアーズ ホワットアイセイなど最高!
⑤ サニーボーイウィリアムソンⅠ
サニーボーイウィリアムソンⅡ
リトルウォルター
サニーテリー
ジェームスコットン
ウォルターホートン
いずれ劣らぬブルースハープの巨人たち!
日本のミュージシャン
① 忌野清志郎
あいじまは基本洋楽で育ちました。そんな中RCサクセションの歌は20代のあいじまに飛び込んできました。『スロウバラード』最高!『いいことばかりはありゃしない』はこれぞ最高のジャパニーズブルースだと思っています。
② 越路吹雪
10 代から20代の頃一番影響を受けた歌手なのかもしれません。越路さんを通してシャンソンを好きになりました。歌がどこか演劇的なんですね。『ラストダンスはわたしに』『サントワマミー』『愛の讃歌』。そういえばショーケンも忌野清志郎も越路吹雪をカバーしてるね。
③ 小室等
あいじまは洋楽派ですが日本のフォークは結構聴いていました。吉田拓郎、井上陽水、加川良、加藤登紀子…その中で一番影響を受けたのは小室等さん。実は小室等さんとはお会いしたことがあるのです。20代の頃あいじまが小室等が大好き、大ファンだったので知り合いの方が紹介してくださって小室さん東京サンシャインボーイズのお芝居を観に来てくださいました。ワハハハと笑ってくださいました。また、新宿の居酒屋池林房、浪漫房の社長太田篤哉さんがサンシャインボーイズを応援してくださっていて創立何十周年かの祝賀パーティーに原田芳雄さんと小室等さんがゲストで歌を歌われました。原田さんはご自身のバンドを引き連れてブルースを歌われてその後に小室さん。ギター一本で現れて弾き語り。あんなバンドの後で大丈夫か?と小室等シンパのあいじまは不安になったのですが、いやぁ、凄い!「ここは新宿なので、新宿にちなんだ歌を歌います」そう言って状況劇場のお芝居の中で歌われた劇中歌を歌われたのです!ああ、本当に感動…小室等さんは言葉には全てメロディがあるはずだと詩人の谷川俊太郎や劇作家の唐十郎、別役実の詩に曲を作っていったのです。小室さんの劇中歌のアルバムとかないのかなぁ。聴きたい。守らずにいられない、昨夜見た夢の中で、泣けばいいんだ泣けばいい、…あいじまは10 代の頃からずっと小室等さんの歌を口ずさんでいきてきたんだなぁ。
④ウエストロードブルースバンド
10 代の頃LPレコードはとても値段が高くなかなか買えませんでした。だからみんなで貸し借りをしていたのです。何かを貸してもらいそのお礼に自分のオススメを貸してあげたり。ウエストロードブルースバンドという彼らの1stアルバムは姉の友達にオールマンブラザーズバンドを貸したお礼にこれ貸してあげるとお借りしたのです。そのアルバムには初めて聴く日本のブルースバンドがいました。実は10 代のあいじまには本家の黒人のブルースは手強かった。聴いてもよくわからなかったのです。イギリスのロックミュージシャンたちが演奏するブルースロックが好きでした。それと同じ感動。いやそれとは違う日本人が黒人のブルースという音楽ときちんと向き合うとどうなるのという結果がそこにありました。だから黒人の歌うブルースとは違うんです。でも紛れもなくイエローブルースがそこにあった!この1枚のアルバムは今もあいじまの宝物です。
⑤ 萩原健一
ショーケンはあいじまのアイドルでした。俳優としてもミュージシャンとしても。高校時代にアルバムが発売された柳家ジョージとの2枚組ライブアルバム『熱狂雷舞』好きでした。ショーケンは存在そのものがロックなんだ…当時のレコードの帯のキャッチがそんな文句でした。自由で無頼でそんでカッコよかった。何かを憂いている風情が、熱さと斜に構えてるとこのバランスが。今夜きりさ、泣くだけ泣いたら、ラストダンスはわたしに、ぐでんぐでん、大阪で生まれた女…あいじまの青春ですね。
⑥中島みゆき
誰もが知ってるフォークシンガーにしていまや偉大なアーティスト。あいじまブルースという音楽にこだわってるんですが中島みゆきの歌詞の世界はこれぞブルースなんじゃないかなあと勝手に思っています。狼になりたい、化粧、ファイト